野良猫、オフクロの家族 Photo

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野良猫「オフクロ」の家族
解説あるいはあとがきのようなもの

 その猫がいつ頃からそこに住み始めたのか、当然記録などあるわけもなく記憶をたどっても確かなことを言うことができない。僕がオフクロ猫の写真を撮り始めたのはまだ予備校生の頃だからもう十年近くも前の話だ。
そのだいぶ前から実家の界隈をうろついていたと思う。

 なぜこの猫たちの写真を撮り始めたのか、何か明確な目的があったわけではない。
二階の窓から外を見ると、黙ってこちらを見ている不思議な猫がいるなというくらいのほんの些細なきっかけだったと思う。ただしかし、「かわいい」というだけの写真にしたかったのではなく、もっと野良猫の生の姿を見せたいという思いはあった。

僕は写真撮影について専門的な教育は受けておらず、全くの独学(たいした勉強はしてない)である。写真機材もごく限られたアマチュア程度の物だ。
 世の中にはもっと上手い人はいくらでもいるし、それに比べたら自己満足程度のものかもしれない。
 そのため編集作業中に一度投げ出しかかったのだが、不思議なことに家の玄関に真っ白な野良猫が現れ、しきりに中に入りたがっていたのできっとこれは何かの啓示に違いないと勝手に思い込んで作業を続けることにした。いつ何時何が原因で失われるかわからない記録を少しでも人に見せておく意義はあるはずだ。

 オフクロ猫はとにかく子だくさんの猫で、一年を通してみても妊娠しているか、子育てしているかといった感じで絶えず子猫を従えていた。写真に記録されている以外にもずいぶん子猫が生まれている。それにも関わらずこの界隈の猫の成育密度が一定だったのはオフクロ猫の子猫たちの生命力の脆さ故である。
どの子猫たちもある時期を境にに一斉にいなくなる事がほとんどだった。
餌が足らなかったのか、それとも持って生まれた体の性質なのか一匹、二匹さえ生き残るという例はほとんど皆無に等しかった。
いつも最後は母親だけが取り残されるのだった。
 餌はゴム会社の事務員さんをはじめ、小道の突き当たりのおばあさん、それにアパートの住人などからもらい、それなりの供給はあったはずである。

 今思うと子猫たちにはかわいそうな事をしたのかもしれないと思う。
 この一連の写真にはよく報道カメラマンが矢面に立たされるのに似たある種の問題があるのかもしれない。動物の生死をネタにしている、写真を撮るのならきちんと面倒をみるべきだなどという批判もあるだろうと思う。
 しかし、慌ただしい人間社会の日常の中で人知れず生きて、人知れず死んでいく野良猫のことなど気に留める人がどれくらいいるだろうか。野良猫の一生について気づくことがなければ同じではないか。
最近では自治体などが野良猫に避妊手術を施す例もあるらしい。
しかし、警戒心の強い親猫のことだけに捕まえるのは難しかったと思う。
大変気の強い猫で餌を手で差し出そうものなら鋭い爪で人の手を引っかき奪い去っていくのが常だった。また僕自身そんなことをしようと思ったことはなかった。

オフクロ猫を見ていると子孫を残すことに特別の意味があったように思えてくる。なぜあれほど子猫を残そうとしたのか、お腹の皮は度重なる妊娠でずいぶん伸びており、走るとプラプラ左右に揺れる程だった。
何度産んでも自分より先に死んでしまう子猫たち
その遣る瀬無い思いがそうさせたのかもしれない。

 この界隈に何年も住み、あれほど警戒心の強かったオフクロ猫が自動車事故で死んだのは99年の12月だったと記憶している。普段は出るはずもない車道の中央よりやや向こう側、空しい血痕に僕が気づいたのは事故の2、3日後だった。

だから、直後の事故現場の写真の撮影者は実は僕ではない。
撮ったのは僕の弟だった。
そのためお別れを言うことすらできずにオフクロ猫は僕の前から突然いなくなったのである。家族もそのことについて誰も教えてくれなかった。

子猫が車道に出てしまったというのが大方の見方ではあるけど、事故直後の朝にはカラスが内臓をくわえて屋根まで飛び上がり、それは無残な光景だったらしい。

あれほど「生」ということにこだわり生きたオフクロ猫が自動車事故で死んだというのは皮肉だ。いくらあがいても逃れることの出来ない自然の力、老いや病とはかけ離れたもう一つの得体の知れない力によって文字通り押しつぶされたのだ。

これは都会に生きる動物の宿命だろうか。「機械の時代」とは何だろう。

都会育ちの人間である僕は本当の自然の姿など知る由もない。しかし都会こそが大いなる幻想である。一度人間が活動をやめれば都会はやがて朽ち、自然がそれを飲み込んでいくだろう。
我々にとって得体の知れない力によって。

果たして都会の野良猫たちはどちらの世界の住人なのだろう?
恐らく猫たちにとってもこの都会が現実だったのだろう。しかしオフクロ猫の行為はこの現実世界の裏側にもう一つの世界があることを教えてくれる。

アスファルトの隙間から染み出した自然そのものである猫たち。
その猫たちの声は都会の雑音から比べればほんのかすかだ。
でもその声は伝えてくれる、私はここにいる、私は確かに存在すると。

2006 4/21
山下文明

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